七夕のお茶会
2012年 07月 08日
こちらは大橋茶寮、玄関です。
まだ裏千家に東京道場がなかった頃、
茶道裏千家十四世家元の淡々斎がこちらを道場代わりに利用してお稽古をしていたという場所です。
このお部屋がお茶会(お薄)の会場でした。
この床柱に淡々斎が寄りかかってお稽古をつけていたらしい、、、
お部屋から外を覗いたところ。夏のしつらえが涼しげです。
さて、お茶会前日から、こちらでお道具を準備、
そして、当日は5時起きして着物を着付け
草履をスニーカーに履き替えて、首都高を走って虎ノ門までスイスイと、、、
といいたいところですが、首都高、大混雑でした。
今回、七夕の日のお茶会と言うこともあって、
しつらえは七夕を意識したものばかり、
お写真を撮っている暇もなく、そんな雰囲気でもないので、
ご紹介できないのが残念ですが、、、
当日のお庭。
準備の時に書いた短冊や、お客様に書いていただいた短冊を
お庭番の方々が笹の葉に飾り付けてくださいました。
あ、もちろん、私の願い事は、、、「世界平和」でございます(*^^*)
お菓子は「天の川」 京都の老舗和菓子屋さんから届きました。
水屋でこっそり撮ったので暗くてピント遭わず(^^ゞ
主茶碗は、左入(楽家六代1685~1739年) 赤楽平茶碗 「小波」
菓子器、5代清水六兵衛(昭和34年没) 御本「梶の井」
梶の葉というのは、昔、この葉っぱの繊維から織物を作ったと言われているので、
七夕といえば織り姫、梶の葉と聞いていたのですが、
と、ここでいろいろ検索してみたら、ちょっと違うみたい。
京都では、昔から短冊ではなくて梶の葉に願い事を書いていた
と言うことらしいですね。
あ、でも、こんな記述もありました。これで機織りと関連づけられるのかも?
すみません、あやふやで。
<<梶の木は和紙の原料にも用いられ、紙の象徴となっています。
日本の神話の中にも、天照大神が天の岩戸に身を隠した時、
捧げものを用意し儀式の準備をしたのですが、
天日鷲神(あめのひわしのかみ)と津咋見神(つくひみのかみ)が、その中に
穀(かじ)の木を植えて“白和幣”(しろにきて)という白い繊維の捧げものを作った
という話が伝えられています.>>
これは三客様用に用意したお茶碗、
永楽和全(永楽家12代明治29年没)の平茶碗 名は「七夕」
やはり梶の葉が描かれています。
さて、最後にお濃い茶席に招かれ、その後お道具などの片付けをして終了したのが4時半頃、
またまたスニーカーを履いて、首都高を走って帰宅。
着物を着て汗をかきたくなかったので、車で行きましたが、、、
それでも汗かき(冷や汗?)、数々の紐や帯で圧迫されたので、
案の定、腹回りは圧迫湿疹でカユカユ、、カユカユかゆ、、、、、、未だに痒い(^^ゞ
でも、今年の一大イベントが無事に終わってホッとしました。
もう一回8月、今度は上野精養軒でお手伝いがあるのですよ、、ちょっと憂鬱な着物
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